2018年西日本豪雨災害の支援記録

2022.12.08

2018年7月上旬に日本列島を襲った集中豪雨。河川の氾濫や土砂崩れによって、西日本に甚大な被害をもたらしました。

アニコムは、岡山県獣医師会の要請により、「どうぶつ用災害診療車」と、3名の獣医師を派遣し、災害支援を行いました。現地で見聞きした「生の声」をご紹介します。

どうぶつ用災害診療車で、岡山県真備町へ

▲避難所(小学校)に駐車するどうぶつ用災害診療車

7月27日、2016年の「熊本地震」でも被災地支援を行った、アニコムのどうぶつ用災害診療車に乗り、獣医師3名が岡山県真備(まび)町へ向かいました。

真備町では、近隣の川(小田川)の堤防が複数箇所で決壊したことにより、町全体が甚大な被害を受けています。

泥、水、ほこり。見たことがない世界

▲真備町の光景。豪雨の影響で水が引かない場所も

 

▲真備町のコンビニエンスストア。看板にまで洪水が到達した様子がわかる

 

町の中は、洪水によって流されてきた泥水が乾き、黄土色に染まっていました。未だに浸水が引かず、湖のように空を反射している箇所もありました。その脇には、まるで地震にあったかのように倒壊する建物が並んでいました。

思い出の詰まった「災害ゴミ」の山

▲国道沿いには、無造作に災害ゴミが並ぶ

 

▲図書館の駐車場には、次から次へと災害ゴミが運ばれてくる

 

国道沿いに延々と積まれた災害ゴミからは、異様な臭いが立ちこめていました。それは、きっとゴミではなく、想い出がたくさん詰まった大事な家財だったはず。豪雨は、一夜にしてそれを「災害ゴミ」にしてしまいました。ここで感じた臭いは、きっといつまでも忘れることはないでしょう。

真備町の動物病院も被災

▲本院長の伊達先生(左)と、まび動物病院院長の阿美古先生(右)

 

真備町にあったふたつの動物病院も大きな被害を受け、診療を行えずにいました。

そのうちのひとつが、「まび動物病院」。真備町から車で30分ほどの場所にある「だて動物病院」(総社市)の分院として、3年ほど前に開設しました。災害前は多くのペットたちが通っていましたが、「ここも一晩にして廃墟と化した」と、同病院の院長、阿美古(あびこ)先生と、本院長の伊達(だて)先生は話してくれました。

ご自身も真備町に住んでいたという阿美古先生は、豪雨の夜、奥さまと4ヶ月の赤ちゃんと共に家から飛び出し、近くの避難所に向かい難を逃れました。

「でも、命が助かって良かった」。笑顔でそう話しながらも、やっと軌道に乗ってきたという病院の変わり果てた姿を前に、悔しさをにじませていました。

 

▲まび動物病院で使用していた医療機器の一部

 

そのような状況の中でも、本院長である伊達先生は、「大丈夫、なんとかなる」と言っていました。

実際、被災者の方の多くが、前向きな言葉をお話しすることが印象的でした。そのように思うしかないのかも知れませんが、私たち以上に前を向く姿は、眩しく映りました。

 

▲本院のだて動物病院には、災害によって一緒に生活できなくなっている避難者のペットを一時的に受け入れていた

避難所で出会った、田中さん(仮名)の話

▲他の被災者のペットを抱く田中さん

 

町内を回った後に、どうぶつ用災害診療車で避難所を回りました。訪れた穂井田(ほいだ)小学校では、ペットとの同居避難者専用の避難所として、どうぶつ飼育者たちに門戸を開いていました。

そこで、田中さん(仮名、70代女性)と出会いました。田中さんは、当初ほかの小学校に避難していましたが、現在は、よりペットと過ごしやすいこちらの避難所で、寝泊まりをしているとのことでした。

災害時、愛犬を抱えたまま屋根裏へ

▲損壊した住宅(※田中さんのご自宅ではありません)

 

災害当時、田中さんは、ご主人と、愛犬のタロウちゃん(シー・ズー、18歳)とともに暮らしていました。

 

あの日、降り続く雨の様子を見ていたものの、しばらく経ってからご主人が窓の外をのぞいた瞬間「こりゃ逃げないかん」と叫んだそうです。その直後、大量の泥水が家の中に流れ込んできました。

 

田中さんとご主人は、すぐさまタロウを抱き、必死にロフトへと逃れたものの、水位はあっという間に上昇し、いよいよ逃げ場がなくなりつつありました。唯一、避難できる可能性のあったドアは、水の下にあります。ご主人は「なんとかドアを開けてくる」と言い、泥水に潜っていきました。しかし、轟音を立てて湧き上がるような水流の中、その言葉を最後に、ご主人が戻ってくることはありませんでした。

 

「お父さんは、もうダメだ」そう悟った田中さんは、タロウとさらに上へと避難するため、天井を破り、屋根裏へ。顎まで迫る泥水にもまれ、瓦屋根から出る無数の釘に頭を傷つけながらも、「助けて」と叫び続けたそうです。一時間ほど経ち、ようやく声を聞きつけた機動隊に、タロウと一緒に救助されました。

「これ以上、生きてくれとは言えなかった」

こうして災害を生き抜いたものの、高齢のタロウは、以前から具合が悪く、もう長くはないと言われていました。避難所生活でのストレスも重なり、徐々に衰弱していったそうです。そして、お話を伺ったつい3日前に、タロウはそっと息を引き取ったそうです。

 

「災害を乗り越え、19日間も生きてくれた。これ以上、生きてくれとは言えなかった」

田中さんはタロウへの思いを、そう語りました。

 

田中さんのご主人のご遺体は、後日、見つかりました。「最近はお父さんもつっけんどんでね」と冗談交じりに話してくれましたが、遺留品として発見されたご主人のお財布には、新婚旅行で撮った白黒の写真が、そっと挟まれていたそうです。田中さん自身も大好きだったその新婚旅行の写真が、今では「唯一の宝物」だと、最後に話してくれました。

「ペット同行避難」の現状

▲避難所に並べられたペット用の物資

 

環境省では以前から、ペットも一緒に避難することを推奨しており、多くの指定避難所では、ペットとの同行避難を認めています。実際、今回訪れた避難所でも、ペットと避難してきたご家族は少なくありませんでしたし、ペットの支援物資もある程度充実しているようでした。

 

しかしながら、ペットと同行避難している多くの方々のお話を聞く中でわかってきたのは、「同行避難の難しさ」です。そもそも災害という大きなストレスにさらされながら、見ず知らずの他人と共同生活を送っている状況の中、ペットを飼っていない、あるいは好きではないという方との間では、どうしてもトラブルが起きやすくなります。

 

災害からしばらく経つと、それぞれの避難所で、それぞれのマナーやルールができはじめます。真備町でも、ある避難所ではペットと暮らす人は廊下(屋外)で寝泊まりをするようになり、ある避難所では専用の区画を作り、またある避難所では、事実上ペットとは避難できないような状況になってしまったという話をうかがいました。

 

事実、熊本地震の避難所(益城町周辺)でも、同じ状況でした。

一日も早い復興を祈りつつ、私たちができる支援を

▲避難所に寄せられた寄せ書き

 

西日本地域を広範に襲った豪雨。被災者の方々の話を聞くほどに、心が痛みます。亡くなった方とそのご家族、そして動物たちに、心からお悔やみを申し上げます。

 

被災者の皆様が一日も早く、家族で安心して生活できる日が来ることを願ってやみません。

 

アニコムでは、被災した地域の獣医療機能がもとに戻るまで、どうぶつ診療車を岡山県獣医師会へ貸与しました。現地の復興支援に少しでも役立てればと思うと同時に、これからも私たちにできることを続けていければと思っております。

 

<本記事は、2018年7月26日~7月28日までの情報を基に作成されました>

公開日:2018.8.2